宮下公園
2010/09/19 - 09:00

宮下公園 TOKYO/SHIBUYA(前編)

渋谷駅に一番近い公園・宮下公園。ネーミングライツ契約によって今年4月に「宮下ナイキパーク」と名前が変わり、スポーツ公園に改修される予定だった。宮下公園の改修計画の背景にどのような事情があったのか―。宮下公園ナイキ化計画のプロセスを取材した。

渋谷駅に一番近い公園・宮下公園。去年8月に渋谷区はスポーツメーカーのナイキ・ジャパンとネーミングライツ契約を結び、来年4月に「宮下ナイキパーク」と名前が変わる。また公園はナイキ側の負担で全面改修されスポーツ公園に変わる予定だ。
これまで渋谷区は、議会の答弁の中で、宮下公園のスポーツ公園化は、区民の要望を受けたものと説明。要望書の提出を受けて、ネーミングライツの選定委員会を設置し、ナイキ・ジャパンを選んだとの説明してきた。
しかし、OurPlanet-TVの取材によると、1000筆集まったとされる署名はNIKEと関係の深いスケートボードメーカーT19が集めたことが判明。また、要望書もロッククライミングは区議会議員自身が作成し提出していたことが分かった。
そして、この計画は既に2006年にナイキが渋谷区に寄贈したジョーダンコート設置にまでさかのぼることが判明・・・。宮下公園の改修計画の背景にどのような事情があったのか―。日本の中で最も賑やかな街・渋谷の行政、議会とは―。
これまで、ほとんど明らかになってこなかった宮下公園ナイキ化計画のプロセスを取材した。

■内容
Part1 Homeless
Part2 2つの要望書/署名は誰が集めたか/パークとストリート
Part3 マーケティング/児童労働
Part4 市場主義と公共空間
Part5 議員の動き

■ドキュメンタリー「宮下公園」インタビュー採録

オープニング

渋谷駅に最も近い公園宮下公園。
宮下公園は今年4月に『宮下ナイキパーク』となる予定。
ナイキの負担で全面改修されスケートボード場とクライミングウォールが新設される。ネーミングライツの契約料は年間1700万円。10年間で1億7000万円。スポーツエリアは有料となり、夜は施錠される予定だ。

桑原敏武(渋谷区長)「この渋谷っていうところは、若者の街。こういうふうに、言われておりますけど、現実にはスケートボードを駅前の広場でやる、通路の歩道の中でやる人が多くて、歩行者にとって危険である。危ない。その時に場所としては宮下公園しかないと思った。その一方でナイキさんの方から、タイムリーにご提案をいただいた。」

「宮下!返せ!ナイキ!来るな!」
「これは、その企業の独占なんじゃないか」
「テーマパーク化して、そのスペースを奪っていく」
「なんでそんなに囲われなきゃいけないのかと思うんですよね」
「あそこはホームレスが多いから、入っちゃ駄目って言われて」

宮下公園  TOKYO・SHIBUYA

Part1 Homeless

質問「宮下公園に来てからどれくらいになりますか?」
生活者Aさん「宮下公園に来てからは、1月何日だから8ヶ月。去年の12月にクビになって大阪でで仕事探したけど、寮付きの期間工というのがあって、トヨタは7月時点で打ち切られていて、ホンダとダイハツがあって行ったら『昨日まで募集していたけどもういっぱいになりました。終わりです』と言われた。公園とか、定住する人間を、小屋が山手線側から見えるというのも全部売り払って、日本、東京都内にはもう、生活困窮しているニッチもサッチもいかない人はいないよっていう、目に見えない形にしようとしてるんだけど」

質問「宮下公園に来てどれくらいになりますか?」
生活者Bさん「おれ?2ヶ月足らず。もう2ヶ月だな」
質問「仕事もされてたんですか?」
生活者Bさん「仕事をしてたから収入があって、銀行にお金がある。」
質問「家族もいる?」
生活者Bさん「家族はちょっと離れ離れでいるんだけどな。」
質問「お子さんは?」
生活者Bさん「1人。1人いる。」
質問「ここに暮らしている方は他にどのような人がいますか?」
生活者Bさん「いろいろだよ。やっぱり言いたくないのもあるだろうし、言えることは簡単に言えるけど、言いたくないのまで無理して聞くっていうつもりはないし、こっちも、言いたくないことは言いたくないからさ。まだ、仕事辞めて2ヶ月だけど、早く見つけたいっていう気持ちはあるよ。だけど、今の状態じゃあ、ちょっと動けないからさ。やっぱりここに住んで欲しくないだろうな、一般の人は。公園だからな。公共の場だからな。」

8月中旬、公園課がはじめて公園で暮らす人向けに説明会を開いた。

小林係長「9月から工事予定で、9月からこの公園が使えなくなるということで区民、住民には知らせてあります。今の予定だと9月1日から、来年の4月末までを、宮下公園の整備工事期間と設定しています。」
黒岩大助(渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合)「9月の1日から来年の4月末まで、ここが全く使えなくなると、フェンスか何かで囲むわけですか?」
小林係長「その予定でこざいます。」
黒岩「今日もナイキジャパン本社に行ってきたけど、なしのつぶてなんです。企業は新聞報道等で書かれているナイキジャパンですか?」
小澤「秘密裏に動いていたとかそういう問題ではなくて、ケンカを売るつもりはないけど、民間企業とそういうような動きをやる時に、うちとの契約の話の中で守秘義務だけは守ってくれとお約束があったので、皆さんには報道するのは遅くなったという話です。」
黒岩「園内移転は出来ないのか?」
小澤「出来ない。いろいろ考えているけど、今言えることはないです。」
黒岩「言えることがないなら、不安になるに決まっているじゃないか。」

黒岩「いま野宿を余儀なくされている人々というのは失業して野宿に至って、家族であったり、社会的なつながりから切られてですね、いま野宿に至っていると。去年の5月ですね。渋谷区のミニコミ誌の記者さんからこういうナイキによる前面改修があるんだけれでも知らないか、と。図面入りでその表には出てたんで、かなり本格的だなと。野宿者の仲間たちに対して8月、夏ぐらいに撤去があるんじゃないか、という噂が飛び交ってて。生活保護なり、渋谷区独自で失業対策できればいいんですけれど、対策が不十分なまま追い出しだけが、排除だけが先行している。

いちむらみさこ(アーティスト/美術カフェ・エノアール)「宮下公園は通るのが怖いという意見があって、私は全然怖くない。ホームレスがいるから怖いっいう人もいるかもしれないけど、むしろホームレスのひとたちは自分のたちの生活をあそこに築いているわけですから、むしろ安全に暮らそうと彼ら/彼女らはしているわけで、生活があるから怖いっていうことではないと思うんですね。それがナイキとか、フェンスで囲ったりだとか、お金を払って入ったりとか、何かそういう、企業とかが管理することによってより一層、積極的に安全とか安心がなくなってしまうんじゃないかなと。隙間だらけの暴力にあふれる。管理会社に任せるような安全っていうような。」

小川てつオ(246表現者会議発起人、美術カフェ・エノアール)「ホームレスの人たちが住んでいるテント村で自分も住んでいる。一番大きい施設がスケートパークじゃないですか。宮下公園に出来る。スケボーやっているひとたちも街の中から排除されている、そういうひとたち。
ホームレスのひととスケボーとかユースカルチャーの近似性があると思っていて、街の使い方とかを通常の使い方でない使い方をする。スケボーがとくにそうだと思うんだけど、ホームレスのひとも一般的な使われかたとは違う見方で街をみていたりする。そういう近似性があるのに、街から排除されて公園で遊び場を与えられたという形になっている、そのことによってホームレスが排除される。近いものなのに敵対するような形にもってかれちゃう。今回の問題のきわどいところ。」

Part2 Street

区議会の議事録によると、2008年2月 2つの団体から要望書を受理団体名は渋谷にスケートパークをつくってもらおう会。そして、フリークライミング練習場設置を進める会。

佐野和俊(渋谷にスケートパークを作ってもらおう会)「まず始めに2005年の段階で、10月に「渋谷にスケートパークを作ってもらおう会」というのを発足して、まず最初の相談としては、娘がお世話になった小学校の先生にこういうことがやりたい、青少年育成のためにスケートパークっていうものが渋谷区にない。ぜひ、これをつくるために協力していただきたい。いろんなアドバイスをいただき、っていうのが始まり。
質問「その団体の実態というのは?」
佐野「恵比寿地区では僕の知る限り10人ぐらい。会員とか名簿はないです。名簿等はつくってないですけど。規模はないんですよ(笑)なんて答えればいいんだろう、実態はない(笑)?」

広瀬誠(渋谷区議会議員・公明党)「私は旧渋谷地区、恵比寿のほうのエリアの方を中心として活動している議員なんですけれども、恵比寿駅を中心としてスケートボードやインラインスケートだとか様々、場所がない状況で若者がたむろってやっていた状況はみていたもので、その状況で私ども地元の臨川小学校の校長先生のほうから、私に紹介があったのがさっきお目にかかった佐野さんです。

佐野「広瀬さんのほうから公園課のほうでスケートパークのイメージがわからない。いままでにないものなんで、わかりません。区に伺って公園課のほうに説明した。2007年の3月。議会をスケートパークをつくる方向で決定した、と話しは伺いました。
質問「それは広瀬さんから?」
佐野「そうです。2007年の3月に予算組みがされたよと。19年度の予算組みには宮下公園のスケートパークをつくる予算組みはされました、と話しは伺いました。
議事録によると、これまでスケートパークの設置に予算がついた形跡はない

植野(渋谷区議会議員・公明党)「渋谷区内にスポーツ公園を設置して欲しいという要望書を実は、前年の11月末に提出しているわけです。それを年が明けて、1月ごろ、区長から、公明党が要求した予算要望で、これはお答えできそうです。と。3月の第1回定例会で予算化をするわけですから、いわゆる宮下公園に対する公園整備予算が計上されるんで、それが見えたもんですから、2月に急いで要望書は出しておこうと。そいで、ロッククライミング用のウォールと、一緒にスケートボード場も整備したらどうかと、そういったタイミングがあったんですね。

質問「ちなみにこれ2年前ぐらいに、スケートパークだけかどうかわかんないんですけれど、何か改修に予算が付いたんですか?」
小澤明彦(渋谷区土木部・公園課長)「去年でしょ。それはここのところをいじろうと思ったんですよ。商店会さんの希望で。去年去年。」
質問「去年ですか。一昨年じゃなくて去年。」
小澤「去年去年。」
質問「スケートパークのための?」
小澤「全然違う。この交差点を改良してくれないかという、その予算ですよ。渋谷側遊歩道、宮下公園渋「側遊歩道の整備工事。そのときにネーミングライツが始まったものですから、その予算はもう執行しないでそのまま流しちゃったんですけどね。」
質問「そのときは?」
小澤「それは全然関係ないです。」
質問「昨日、広瀬議員にお聞きした?」
小澤「あれは全然違います。あの3000万は。3000万という予算は付いていたけど。」

佐野「僕はそのまま出来るものだと思っていたので、その後は、広瀬さんとちょこちょこ先ほど話したように、年明けって2月の段階で要望書という形、団体からの形がないっていう話があったんで、僕が要望書を制作して渋谷区長に提出しました。」
質問「出す経緯は?このタイミングで出すということは、自主的に佐野さんが渋谷区に出した?」
佐野「要望としては話している通り、ずっと作ってもらいたいという要望はあったんで、こういったものを提出してくれないかと言われた時に、私が作成して提出しました。」

議事録によると、区民の要望書を受けて、ネーミングライツの選定委員会が設置された。

質問「なぜ2008年なのですか?」
広瀬「19年にこういったものを出したほうがいいな、ということで、さっき発言させていただいたのは、19年、第4回定例議会のときだったと思うんですけれども、区のほうとしては前向きに捉えてくださってるのは確かだったので。陳情というかたちにしますと議会関係にでてくる話になりますから、区長宛て、行政関係に要望というかたちのほうが落ち着くところに落ち着くやり方になるのかな、と。」

質問「選定委員会についてなんですけども、これ要望書なのですけれども、そうするとこの要望書が出ている日程が、この2月の13日という日にち、こちらは2月12日という日にちですけれど、この提案書があったのは2月6日と2月12日というようになっているのですけれども、これが逆であるっていうのは?」
小澤「逆というか、要するにこの要望書は後付けで出てきたもので、その前から口頭の申し込みは区長等にございましたのですよ。この方たちが直接来て。」
質問「議会の答弁では、要望書があっての、検討選定委員会というか。」
小澤「要望書は実際ありましたから、要望書があって、検討委員会というのは、口頭の要望書に基づいて、口頭の要望書というのも変ですけどね、渋谷区のほうの申し入れがあったときに、それでスケートボード場を作るのはいくらぐらいかかるのかとかウチは一応試算するわけですよ、要望書が出ていなくても、区民の方からの要望ですので、口頭であっても。その要望が受けたときに、この多分19年ぐらいの末くらいだと思うのですけれども、ちょっとハッキリしないですけれども、要望を受けて、結局そういうメーカーさんに『いくらくらいかかるの』というお問い合わせをしているのです。それに基づいて、これよりも早く提案書が出てきたのですよ。」
質問「この要望書が来なくてもやったかもしれない。」
小澤「来なくても多分やりましたよね。区長等、渋谷区としてもこういうスポーツ施設を口頭で申し込まれたというのはありますから、それは要望書が出なくてもやったと思いますよ。」

質問「要望書を提出後は渋谷区とやり取りは?」
佐野「ないです。全くないです。7月にあった説明会の段階で見せられたのが初めてです。」
質問「あの段階ではスケートボードエリアとなっていましたが、それは佐野さんが意図するものとは違うように思うんですが。」
佐野「そうですね。ナイキが設計、施工をやるということだったんで、こちらの意見としては通らない状態で進んでます。」

質問「一番最初に佐野さんがきたのは?」
冨田「城南島ができてからなんですよ。宮下公園の活動に生かしたいということで。城南島はどうやってできたのかということで。多分調べたんだと思うんですが。」
質問「宮下公園の署名は、お店とかで?」
冨田「そうですね。やってました。はい。」
質問「それはどのくらい?」
冨田「そうですね、80人くらいですかね。具体的いえば。そんな大層な数はできなかったですから。」
質問「佐野さんは署名知らなかったといってましたが、署名は誰が集めていた?」
冨田「それは大瀧さんですね。大瀧さんに、これ署名だからって書いてって。」

大瀧さんとはT19というチームに所属するスケーター。
T19は、ナイキとの関係が深く、コラボ商品も開発している。

質問「大瀧さんは、ナイキの人と仕事をしていたりする?」
冨田「そうですね。コラボしてT-19モデルとか。出してたり、個人的には仲いいんじゃないですか。ナイキも、関係なきゃ署名なんか集めるわけないんだから。できたらいいなとはいってましたね。

大瀧さんに取材を申し込んだがナイキの許可を得ないと回答できないと断られた。しかしなぜ今年2月に署名を集めたのか。

質問「今年2月に、署名が出たんですけど、あれは何だか知っていますか?」
植野「あれは、後押しですね。要するに。いわゆる賛同署名というか、そういう意味ですね。本当に実現するんだけど、ちょっと地元の町会の反発もあって、区が説明会をやろうとしたら、もっと大変になっちゃうんじゃないかという半分誤解だったんですけど、もっと全国から集まっちゃうんじゃないかとあふれた人はどうするんだという声が地元住民から出たもんですから、じゃあ後押しして、ちょっと署名をして、そんなことないよと。発想はタバコの分煙です。ここでやってくれと。どこでもやっちゃいかんと。歩きタバコを禁止するような感じで、この宮下公園のこの一角でスケートボードはやっていただきたいと。」

秋山アキ(日本初のプロスケーター)「1975年に、世界選手権の第1回がサンディエゴで行われることになり、俺がそれに出場して、最初の世界人になったわけですよね。俺が教えなければ、誰もなかなか進歩しない時代があって、今そのつながりがまだある。俺もパーク3つ、4つくらい作ったけれど、結局はつぶれちゃうから。時代の流れもそうだし。料金を取ってやるのは、都内でやるとね、悪さするやつも絶対出てくるから、そのシステム側がきちっと出来ていればね、いいんだけど。」

質問「城南島がオープンするまで、何年くらいかかりましたか?」
冨田「えっと7年間ですね。スケボーを始めたきっかけは僕の兄貴がスケボーをやってまして、80年代にスケートボードが流行ったんですね。中学校ぐらいにあがった時にやっぱりやりたいなーということで、デッキを譲ってもらって、でおっぱじめて。みんな自分で、ジャンプランプっていうんですけれども台なんかを自分たちで作って、日頃から僕らも遊ばせてもらってたんですね。そういうのをいつも目にしていたもので、ちょっとした空き地があったり、滑れそうな場所があったりした時に僕もちょこちょこ作ってどんどん、どんどん置いてたんですよ。ありとあらゆるところに。置けば撤去、置けば撤去。もうこれは少年ながらに手はつくしたと、じゃあ、これはもう署名して、国に場所を陳情するしかないだろうということになり。基本ね、スケートボード場ができると、塀がこんなに高いんですね。なんでそんなに囲まれなきゃいけないんかと思うんですね。させるんだから制限すえるぜみたいな、行政が多いと思うんですね。作ったでしょ、滑れるでしょ、でも制限はもちろんするぜっていう、本当の意味での自由で無料で、いつでも楽しめる公園がないと駄目だと思いますね。城南島の所長さんにも、ゆくゆくの夢はこのフェンスを取っ払うことですって、もういってありますから。」

代々木公園

スケーター1「ここはスポットって呼ばれていて、代々木パークって言われていて。インターネットで調べてもここが出てくる。公認はされてないけど、代々木のスポットとしてあるんで、一応。」
質問「パークを作ってもらおうという動きで、署名は回ってきましたか?」
スケーター1「僕んとこには回って来なかったです。」
スケーター2「分からない。」
質問「パークが出来たら行きたい?」
スケーター1「一度は行ってみたい。」
スケーター2「一度は行ってみる。でも多分好きじゃない。」
スケーター1「スケボーってやっぱりストリートの本質があると思うので。パークに行くと限られちゃうので。」
スケーター2「ルールもあるし。ヘルメットもつけないといけない。」
質問「パークができると、ストリートのスケータは減ると思いますか?」
スケーター1「逆に増えると思いますよ。」
スケーター2「そうそうそう。」
スケーター1「実際アメリカだって同じことで、アメリカも同じことです。パーク増やして、たくさんパークがアメリカ中に出来ててスリートにもどんどん増えていて、今ロサンジェルスで何が起こってるかというと。ストリートでスケボーしちゃいけないっていろんな人が捕まっているので。逆にバンクーバーはストリートでスケートしていいですよって言うと、逆にあんまりストリートでスケートしないで、みんなパーク行ったり、スポットに固まるんで。みんなから嫌われたりとか、駄目だって言われることによってさらにスケボーが好きになる。特に日本で夜遅くまで仕事して、満員電車で帰ってきて、やだなって思った時にスケボーやると戻ったというか、スケボーの上に。そういう感覚がたまらないですね。下手でも上手くてもそこがいいところ。スケボーでこぐことさえ出来れば、相当救われる。スケボーで。スケボーすれば、自殺しちゃえとかも思わないし。救われている。かばんの中にネクタイ入っていますけど、今着替えてこの後そのまま行くので。」

恵比寿

質問「いつもはここで。」
スケーター3「ここか、渋谷の明治通りがあるんですけど、そこでやってますね。このへんだと。」
質問「時間帯はいつも何時ごろ?」
スケーター3「今ぐらい21時とか22時ぐらいかな。24時、1時ぐらいですね。」
質問「渋谷の宮下公園にスケートパーク出来るのは話題になってますか?」
スケーター3「なってますねえ。夏くらいにチラチラ聞いてましたね。あそこにナイキのパークっが出来るって。」
質問「評判は、みんな期待してますか?」
スケーター3「ん~なんとも言えないですね。ほとんどがストリートで滑ってるひとたちなんで。」

スケーター4「街中どんどんきれいにしているので、やっちゃうと通行人の邪魔だなというのは分かるんですけど、最近だと警察もどんどんやっちゃいけないとか。やっちゃいけない場所とか作ったりとか、どんどん増えてきていて。パークあるんだから、お前らパークでやれよという、あっちとしてはそういう感じになってきているんで。ストリートとしては、やるとこがどんどん無くなっている。こことかもそうですけど、禁止って書いてある。」
質問「それでもパークよりもストリートですか?」
スケーター4「そうすね。場所場所で、路面違ったりとか、雰囲気も違ったりとかその辺楽しいんで。」
質問「宮下公園にパークができたら利用する?
スケーター4「是非行きますね。あればそのまま行って、またこの辺でやってというか兼用ですね。やるならそこということにはならない。1個のセクションとしてあるみたいな。お店屋さんみたいな。」
質問「寄り道みたいな?」
スケーター4「ちょっとあそこ寄ってみるかという感じ。1個のセクションとして考えている。」

質問「ナイキとスケートは関連強い?」
スケーター4「ナイキは、シューズ。逆にいえばスケートシューズ=ナイキとなっているじゃないですかね。やっぱSB相当強いんで。」

Part3 NIKE

吉澤恒男(ワイズマーケティング&コンサルティング、元ナイキジャパン、元ミズノ(株))「ナイキのような外資系のブランド、特にナイキは企業のイメージ、イコール、ブランドイメージという考え方をしていますので、ブランドがかっこ悪かったり、ブランドが何か人に受け入れられないイコール会社が受け入れられないってことっていう考え方なので、ブランドが1つしかない、スウッシュしかないので、そのスウッシュを徹底的に若者からアダルトの人までを含めて、いかにカッコよく思っていただけるかを全面に押し出すコマーシャル。ですからあまり商品のコマーシャルは出てきません。」

質問「今日は何を買われましたか?」
買い物客1「今日はエアージョーダンを主に買いました。」
質問「靴ですか?」
買い物客1「そうですね。」
質問「総額いくらくらい?」
買い物客1「11万くらい。」

質問「何かグッツとか今までに購入されたことはありますか?」
買い物客2「スニーカーは100足くらい。」
質問「今ナイキのグッツはお持ちですか?」
買い物客3「全部。これもナイキだし、これも、これもナイキ。」
質問「全部ナイキでコーディネート?!」

質問「ナイキのブランドはどんなイメージをお持ちですか?」
買い物4「世界最高のスポーツウランドだと思います。」
質問「シューズも?」
買い物4「はい。ジョーダンが大好きなので。足元はほとんどナイキですね。」

吉澤「日本の会社と欧米の会社のもう一つの違いはコストに対する品質ですね。日本のメーカーは品質を最後まで突き詰める。欧米の会社はそこからデザイン性をどれだけ表現できるのかと考えます。品質に関しては日本のメーカーのほうがいいといえます。それを乗り換えるだけのブランド力をナイキや他の欧米のブランドは兼ね備える。兼ね備えたいと思っている。ですから皆さんが、消費者の方が多少足りない部分があるのかもしれないけど、でもやっぱりこっちが欲しいというふうに思っていただくためのマーケティングです。10年後はナイキがどういう立場にいるのかというのは非常に難しい。変化が多い会社なのでブランドなので、その時その時ですごく変わっているブランドだと思います。例えばテニス、グローバルではまだやっていますけど、日本ではかなり撤退されています。バスケも撤退気味。まだやってますけど。」

質問「ナイキの商品がどこで作られているのか?タグみたことありますか?」
買い物客5「ありますね。だいたいインドネシアっすかね。」
買い物客6「ベトナムとかですかね?」
質問「タグありますか?」
買い物客7「ナイキって書いてある。(タグを見せる)」
質問「あっ、中国製ですね。」
買い物客8「(靴を脱いでタグを見る)中国ですね。」

白木朋子(児童労働の撤廃・予防に取り組むNGO=ACE(エース))「ナイキの問題が最初に取り沙汰されたのは、実は80年代の後半。88年ごろといわれているんですね。当時、契約工場で労働搾取が起きている。これ児童労働に限らずですけれども欧米で報道されて、その後工場の現地のひとたちのストライキが80年代後半に頻発していく。その流れを受けて90年代に入って、消費者またNGOが一緒になって反対キャンペーンというのを広げていくようになるんですね。そのキャンペーンが起きた時点ではそのナイキがどういう立場をとっていたかというと、ようするに自分たちが直接管理している工場で起きた問題ではないので、自分達には関係ないと言っていたわけですね。ただしそれに対して実際、消費者、NGOはその答えには納得しなくて、最終的に利益を得る企業にも責任があるだろうと。その反対運動がより大規模になった。ちょうど97年に反対運動がピークを向かえて、反ナイキ運動が13カ国ぐらいに広がった。」

白木「なんで現地で労働搾取が起きてしまうのか、そこのもとをたどっていくと、結局は委託している工場がしっかりと経営していけるような、ペイがされていないとか。もしくは納期が非常に厳しい要求を突きつけられて、労働者の数も限られているんだけれども、徹夜で働く人たちが働かないと、納期に間に合わないっていうことだったりだとか、基本的に先進国のメーカー側がいろんなデザインを決めて納期も決めて、払う賃金というのも決めて、ある意味従うしかないというような関係性もあるのかなというふうに思いますね。」
質問「子どもたちの賃金について。」
白木「サッカーボールに関して言えば、ボールひとつ作って得られるのが15円~30円。一足あたり16ドルぐらいコストがかかっていて、割かれている人件費の割合が12パーセント。」

ナイキ本社前(天王洲アイル)
「ナイキによる宮下公園改修を許さないぞー!」

「もしナイキ公園になると、誰もが使える公園が夜間施錠され、使用料がかかり、そこを使っている様々な人が、追い出されてしまいます。これはおかしいと思って反対していますし、自分たちの主張を書いたチラシを配っています。是非みなさん、この計画を知ってください。今一緒に動く人がいれば、まだこの計画は止められます。」

園良太(フリーター全般労働組合共同代表)「僕が知ったのは去年の夏で、問題が発覚した直後ぐらいですね。まずナイキ公園になるっていうことにびっくりしましたよね。企業の名前の公園というのが、日本でもはじめてなんじゃないかなと。少なくても、僕は聞いたことがないなと思って。その後も知れば知るほど、その企業の独占なんじゃないかと思って。」

「ナイキ!来るな!宮下!返せ!」

岡部明子(千葉大学院・工学研究科 准教授)「公共空間とは何かというといつでも誰でもアクセスできる、誰にでも、いつでも開かれている空間のことを公共空間というと思います。では今現代都市でなんで、公共空間の危機ということが、言われているのか、失われようとしていると問題があるかというと知らないうちにこの市場原理というのに、この都市や空間がすべて覆いつくされようとしていて、ひとつの価値観で覆われようとしている時代にあるわけですよね。で、そのそれが完全に市場原理に覆われてしまうと都市は窒息してしまうわけですけど、現代の東京を見てみますと、そこにいくつかの亀裂のような傷口のようなものが散りばめられていて、それがかろうじて、都市としての公共性を維持しているような印象を持っているんですよね。」

岡部「そういう意味では宮下公園というのは、特に渋谷のようなコマーシャリズムの中心にあるようなところで、市場で窒息しそうなような中にあって、ふっと息を吸える本当の意味での公共空間というものになっていると言えるというところがあると思うんですね。」

園「宮下公園でなんでこれだけいろんな運動が盛り上がっているかというと、それぞれいろんな関わり方をしている人がいるからなんだと思います。そこでただ休憩する人もいれば、そこに住んでいる人たちもいれば、支援する人たちもいれば、僕のようにデモやイベントの出発地点として使っていた人間もいる。そういう多様な有り方を一元化して、壊しちゃうという問題を感じていて、最初にフットサル場が出来た時にあれって感じたんですけど、その後も改修計画があるっていうことで、これじゃあ余計使えなくなるじゃないかと思ったんですね。びっくりしたんですよね。渋谷は消費都市として、同時に消費のチェーン店が多いということは、そこで働いている不安定雇用の人も多い。その人たちにとってみては、働いて物買って、働いて物買ってっていうサイクルに巻き込まれていくだけじゃなくて、宮下のように。宮下公園の夏祭りって僕2年連続で参加しているんですけども、そういうサイクルとか違う表現とか炊き出しみたいな人との繋がりとか、そういうとこと出会うとことこそ大事なんじゃないかな。垣根を越えたつながりを作っていくことが、大事だと思うし、宮下公園はその場になりうる場所だと思うんですよ。」

岡部「今NIKE化と呼ばれているものが、もしNIKEの思うように進んだとしたならば、せっかく都市の息抜きの、かろうじて窒息しないですむように残された場所が、マーケットの論理で塗りつぶされてしまう。でもここで、ホームレスを支援する活動をしている人たちですとか、ネーミングライツに疑問を持っている人たちの活動がある。つまり、その同じ宮下公園という空間をめぐって、色々な人たちが、NIKEも含めて、区も含めて、色々な人たちが色々な意見を言えるような状況が少なくとも表に出てきたということは、宮下公園が公共空間であるということのひとつの証と思えるわけですよね。」

渋谷区役所
8月27日、渋谷区とナイキの間でネーミングライツの協定が結ばれた

「宮下公園ナイキ化反対!考え直してください!ナイキは公園を買うな!」

尾林芳匡(弁護士)「ネーミングライツというのは公共施設の名前を企業の名前ですとか、それから企業の特定の製品をつけるということが広がっているんですね。そもそも広告料収入を得るために住民の公共施設の名前を売る、特定の企業や製品のためのコマーシャルのために使うというのは、そもそも税金で作った主旨に合わない、というのが大きな問題だと思います。

尾林「宮城県の事例では公的な施設に名前を冠していた企業が大変問題を起こして、そのような企業の名前をつけておくわけにはいかないということで、契約解除にいたった。当初、見込んでいた広告料の関係でも問題になりましたし、あるいは行政がPRしている企業だからこそ信頼して派遣に登録したような方がいたら、行政としての責任もあるんじゃないかなと思います。」

区長「ネーミングライツに関しては出来る限り、この渋谷の施設等々をですね、資源にしてお金に代えていく。これから財政的に厳しい面がございます。その施設を運営して、財源を確保していくことは区政にとって大切、重要だと思っている。財源確保のためのネーミングライツというのはこれからも私は努力をしていかなければ、ならないと思っております。」

渋谷区とナイキの契約は10年間続く。契約料は年間1700万円。

Part4 SHIBUYA

長谷部健(渋谷区議会議員・無所属)「おれはネーミングライツは画期的とは思わなかったけど、行政はいろんなところがやってるから、ネーミングライツだったら我々やれるみたいなさ。だからちょっと形を変えたネーミングライツじゃない?宮下公園だって。建築費が入ってるわけだし。そこを突破口にして応用していってるっていうかね。

長谷部「もともとはナイキのホームページを見ていたらスニーカーのリサイクルをやっているのを知ったのよ。スニーカーを3枚に下ろして、粉々にしてゴムの部分とか陸上のトラックのチップみたくしたりとか。渋谷のど真ん中にナイキがスニーカーをリサイクルした寄付を、ああ、コートを作ったっていったらニュースじゃんって思った。ナイキともそういう話をしていて、そしたら是非やりたいと。「区に持ってきなよ」って言って持っていってもらって、正直いって背中押したんだよね。そうね、やっぱ区議会議員の名刺あるとそういうことが出来るんだよね。シュポって火着けて来てさ。着火!」

長谷部「最初断られたの。縁もゆかりも無い一企業から寄贈は受けられないって言って。またバカだなあ、もったいないこというなって思って、考えて、また入れ知恵したのが、例えばさ、当時、田伏雄太っていうNBA目指している選手がいて、彼のナイキの寄贈ということにしたらどうかと。契約選手なの知ってたから。ナイキは検討して、少ししたら電話かかってきて「半年後に久しぶりにジョーダンが来るんです。ジョーダンからの寄贈ってありですかね?」って言われて、めちゃめちゃありじゃないですか!そっちの方が。で、アタックしてって言って、行ってもらって、でもね最初縁もゆかりもないという話があったり。ぶっちゃけジョーダンをあまりよく知らなかったわけよ。区長とかが。おじいちゃんだしさ。長島茂雄の100倍すごいんだよって話をしてさ、で、裏話だけど、義理の娘の旦那が大学時代バスケットやってたのかな。どっかの週末に会って、「おとうさん何言ってるんですか!すごい人ですよ!」って言われてさ。そこで凄い人って分かったみたいで、「やるやる、受ける受ける」ってなったみたいね。

伊藤たけし(渋谷区議会議員・無所属)「ナイキ側に、地元の要望なんかを伝えてやってもらうのが長谷部議員の役で、地元に説明をしたり、説得したり、意見を聞いたりするのは僕の役割みたいな。ジョーダンコートを急いでつくりすぎちゃって、その説明僕らもしたし、区もやったんだけれど、全然行き届いていなくて、反対が吹いちゃって、出来たあとに。うるさい、バンババンバという音で眠れない、この場所にあるということはありえないという意見もいくつかいただいたりして、何回か説明会とか主催したりして、出来た後にも。そういう中でちょっとこれ、最悪、移動する必要もあるんじゃないの、と。移動するとしたらどこだ。・・・まぁ宮下公園、だよね、と。であれば、全部、スポーツ公園化しちゃうというプランもあるんじゃないのという、そんな話。」
質問「それはもう宮下公園にフットサル場ができる前の話ですか?同時進行?
伊藤「フットサル場が出来た後に、同時進行に近いんだけどどっか写さないといけないよねっていう話も一時あって、本当に。もっとドラスッティックに変わるんじゃないかと思っていたの、フットサルコートを作れば。若者たちであふれて、ちょっとホームレスの方なんかも居にくくなったりして、区の支援を受けながら、きちっと自立をしてもらうということになるんじゃないかと思ったんだけど、思ったほど、もちろん半分・・・3分の1くらいには減ったんだけれども、相変わらずホームレスの方は居て、治安もよくないし、美化の面でも、やっぱり植え込みなんかは汚いし、ごみはあふれているし、そういう状況が続いていたので、これはもう、更なる進化・変化を遂げなかったらまだ完全に賛成はしないなと思って。今回の計画には本当に万々歳で乗ったという感じですかね。」

宮下公園ではサマーフェスティバルが開かれていた

「今のところ区はまだ動いてませんけども、9月1日には公園自体が立ち入り禁止というか、使えなくしますということは発表していますね。どういう形で使えなくするかはまだ分からないんですけども、いずれにしてもその1日からではないにせよ。工事は9月中、10月頭に始まるのではないか。」

植松青児(みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会):私と宮下公園の関係ですが、50人くらいのデモをここでやったんですね。ここをスタートして渋谷の繁華街に行くデモをやりました。これはあるメンバーが、アメリカのマイノリティー運動のスローガンを見つけてきたんですが、「わたしたち抜きでわたしたちのことを決めるな」というスローガンなんですね。民主主義の参加させてもらってないというメッセージとして3月にデモをやったんです。そしたら、参加者の1人があの宮下公園なくなるかもしれないよ、と教えてくれたんです。それを聞いたときにまさにこれじゃないかと。」

「宮下!宮下!」

質問「ナイキさん以外にも、他にもう1社、あったと、その会社はご存知ですか?
伊藤「あのー・・・スポーツ系メーカーだって話しか、社名までは、調べれば分かるんだろうけれども、はっきりしないんだけど、似たような提案だったらしい。、似たようなプランが出てきたんだというのは区側からも、ハセベからも聞いているんで、どっかから情報が漏れている以外ないよねってあいつは疑っていたよ。」
質問「他の似たようなプランをバーンと出せるような人はいない?
伊藤「だから、区とおれとハセベぐらいしか分かってない話だから、そんな話は。あの部屋でしか。おたく達が訪ねてきてくれたあの部屋でのごちょごちょしかない話だから。本当だったらそんなことにならなかったはずなの。結果的には、そういう競争性みたいなことが担保されたことになったんだけど、複数社きちゃったわけだから。提案が。」
質問「本当は選定委員会もなかったかもしれない?順調にいけば。」
伊藤「そういうことになっていたかもしれない。逆に競合相手が出てきたとこに、公平性は担保されたかなと。」

植松「渋谷区については民主主義をぶち壊しにしていると思っています。改修と彼らは言っているんですけど、公園の性格をガラッと変えてしまうような、別の公園にしてしまう工事なんですね。はじめにナイキ・ジャパンありと。これは癒着です。これは民主主義を壊すことで、民主主義を壊す動機がナイキ・ジャパンという大企業の利益をはかるために民主主義を壊している。」

取材をはじめてから6ヶ月。
ナイキは一切、取材に応じていない。

小澤「追い出しなんて言ってないだろう。」
黒岩「実質それは追い出しなんじゃん。」
小澤「ナイキは何だよ。ナイキは会ってくんねえの?」
黒岩「話すことはないって言うし、こちらの申し入れ書も受け取り拒否。」
小澤「誠意がねえってことだ。」
黒岩「全く誠意のかけらもない。そんなやつはもう来るなって言えよ。」
小澤「だから工事説明会やる時に、出りゃいいじゃねえかよ。」
生活者「呼んでこいって言ってるんだよ。」
小澤「呼んでこいじゃねえだろう。」
生活者「呼んでこいだろ。」
小澤「呼んでこいじゃねえだろう。そりゃ違うだろ。」
スタッフ「説明会に出たらナイキと会えるの?」
小澤「会えるだろう!うちが工事説明会やるんじゃないんだから。どっか場所取るだろ。説明会なんだから。ここに貼るかどうかは別にして、町会の看板だとかあれには全部。」
小川「前の住民説明会だって、回覧板でしか回してないでしょ。環境委員会でも批判されてたじゃん。」

2010年3月24日
ナイキによる工事説明会当日。
ナイキの職員は会場に現れなかった。

「ナイキがなんでいないんだよ!」

2010年6月現在、反対派は公園にテントをたてて、抗議を続けている。

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