小児甲状腺がん
2025/06/03 - 16:12

いわき出身の女性が追加提訴〜甲状腺がん裁判

福島原発事故後に甲状腺がんになった男女6人が東京電力を訴えている裁判で3日、いわき市出身の20代の女性が、新たに追加提訴した。原告は7人となった。

女性は小学校6年生の時に原発事故に遭遇した。中学時代に受けた甲状腺検査1巡目では、「問題なし」との結果だったが、高校2年生の時に受けた検査で、1センチを超える結節が見つかり、高校3年生の時に手術を受けた。検査の時、医師からは、「甲状腺がんはゆっくり成長するため、ここまで大きくなるのは10年かかる。原発事故前からあったもの」と言われたため、自分のがんと原発事故の因果関係はないと考えていたという。

しかし、甲状腺がんが見つかった頃から、心身の不調が続き、甲状腺がんの問題を考えようとすると、涙が出たり、体が固まるなどの症状が出た。甲状腺がんに罹患した当事者として、原発事故と甲状腺がんの問題に向き合ううちに、インターネットで甲状腺がん裁判のことを知った。

サイトで公開されている原告の意見陳述や訴状を読むうちに、自分には知らされてこなかったことがあると感じるようになり、今年3月に裁判を傍聴。提訴の意思を固めた。女性は裁判を通して、「事実が事実として認められること」を望むと訴えた。

成熟した社会の実現の一歩に


原告の会見の発言(全文)

わたしは、高校2年生の時に甲状腺がんが見つかり、3年生で手術しました。
がんの告知を受けた時、「どうして癌になったのか」医師に聞きました。医師は私にこう説明しました。「甲状腺がんは、検査すれば必ず一定数見つかります。甲状腺がんはゆっくり大きくなるので、この大きさになるには10年以上かかります。従って、原発事故の前からもともとあったがんだと考えられます。」
その時私は、医師の説明を信じました。だから私はずっと、自分の癌は原発事故が原因でできたものではないと思ってきました。

高校生の時、まだ自分が甲状腺がんと告知される以前から、「甲状腺がんの子供」を反原発運動に利用する大人がいることに怒っていました。そのような大人たちにとって、「甲状腺がんの子ども」は可哀想であればあるほど、都合がいいことになります。政治的立場のために、大きな声で「甲状腺がんの子どもたちがかわいそうだ」と言っているけれど、甲状腺がんの当事者ひとりひとりの実態は置き去りされているように見えていました。

がんの告知を受けて、私が、その「甲状腺がんの子ども」になりました。当時は過剰診断という言説も存在しなかったので、「甲状腺がん」と言えば、原発事故と結びつけて考えられるのが当然の風潮でした。ですから、お医者さんから、原発事故とは関係ないがんがたまたま見つかったと言われていても、社会からは、「原発事故の被害者である、甲状腺がんのこども」というレッテルを貼られることは、避けられないことでした。

 がんの告知を受けてからずっと、この社会で、「甲状腺がんの子ども」としてどう在ればいいのか悩んできました。

まず、自分の尊厳を誰にも奪わせないと誓いました。他者の都合で、私自身の喜びや、悲しみも、人生も、コントロールさせない。「可哀想な子供」であることを押し付けられないために、何があっても幸せでいよう。そのように考えてきました。

次に、手術のために自分の首に傷跡が残ったとして、周りの人からその傷が何か聞かれた時は、正しく説明できるようになろうと思っていました。正しい説明とは「福島で甲状腺がんの手術をしたけれど、原発事故の影響じゃなくて、もともとあったがんが見つかった」というものだと思っていました。自分の耳で聞いた、医療機関で説明されたことが本当のことだと信じていたからです。

そのように考えると同時に、原発事故について正しく理解し、説明できるようになるために、どれだけの時間がかかるのだろう、と感じていました。

原発事故という理不尽な状況の渦中にいて、それに怒りを感じていました。だけれど、いろんな人の激しい怒りや、根拠のない情報の溢れる中で、原発事故についてきちんと理解し、正しく怒りを表明するまで、一体何十年かかるのだろう。そう思うと、途方もない気持ちでした。 福島では取り返しのつかない悲しみや、怒りを抱え、より困難な人がたくさんいる中で、同じ福島に住む一人として、せめてそれを知らなくてはという自責の念もありました。

でも、調べたり、本を読もうとすると、体が固まり、涙が出て、そこから先に進めないまま、手術から8年が経っていました。

そんな中で、去年、甲状腺がんについてインターネットで検索し、この裁判のことを知りました。さらに1年経って、今年2月、裁判の団体に勇気を出してコンタクトを取りました。そして、この裁判の訴状を初めて読みました。すると、私が今まで目にしていた情報は、国や福島県の見解だけで、今まで知らされてこなかった事実が沢山あることがわかりました。決定的だったのは、小児甲状腺がんは、もともと100万人に年間1人から2人しか見つからない、希少な癌だということを知ったことです。さらに、その甲状腺がんが、福島県ではこの14年間に、400人ほど見つかっていることや、再発している人もいることを知り、驚きました。でも、やっと甲状腺がんを取り巻く状況を俯瞰することが叶ったのです。暗い海にひとり放り出されていたようなところから、島を見つけて陸に上がったような心境です。

 私は、いつの間にか原発事故を起こした加害者側に加担していたことに気づきました。
「原発事故とは関係のない、もともとあったがんが見つかった」という説明は、医療機関での精密な検査の上での説明ではなく、国や福島県、東電が被害をなかったことにしようとするために用意した机上の空論だったと捉え直しました。「もともとあったがんだ」と周りに説明してきた私は、国や福島県、東電に都合の良い存在だったことがわかりました。
 
「原発事故と甲状腺がんには因果関係がない」と信じていた私にとって、裁判の提訴に踏み切ることは大転換です。わたしは、最後の決断をするために、前回の口頭弁論に初めて傍聴に行きました。そして、実際に戦っている原告の方や、信念を持ってこの問題に関わっている方々の姿に接し、提訴を決めました。

提訴が決まり、訴状の準備をする過程で、ショックなことがありました。医療情報のカルテ開示をして、医師の説明が虚偽だったとわかったことです。

私は、二回目の甲状腺検査で癌が見つかりましたが、その2年前に受けた1回目の甲状腺検査結果には、「結節なし」と明記されていました。医師の言った「10年以上かけてゆっくり大きくなった」「原発事故前からもともとあったがん」というのは事実ではありませんでした。逆に、「原発事故以降にでき、2年間で急速に成長した癌」だということがはっきりしました。

医療を信じていた私にとって、医療の場で虚偽の説明がなされたことは、絶望的な出来事でした。医療の現場で説明されたことが、事実かどうかわからない、あるいは事実かどうか疑う必要があるという状況は、異常だと感じます。特定の医師が嘘をついたと責めたいわけではありません。国や県、一企業の見解が医療機関の説明を歪めている構造そのものが、看過できないものではないでしょうか。

この裁判を通して、甲状腺がん患者の命や人権が守られ、サポートや正しい情報にアクセスできる社会に変わることを願っています。それは甲状腺がん患者の救済にとどまらず、成熟した社会の実現の一歩になると思います。そのために、「事実が事実として認められること」を望んで、提訴します。

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